【Tweet青葦(No.31)】ふるさと加西 魅力発見!(*学校長)

【Tweet青葦(No.31)】ふるさと加西 魅力発見!(*学校長)

生徒の皆さんへ(1/25の全校朝集でも紹介)

 最近の金曜日「朝NIE」では、『ふるさと兵庫 魅力発見!』(兵庫県教育委員会 2020.3.31)

を通して、再確認したり、新たに知ったり、深く学んだりしていますが、実は私たちの住む街 “かさい” でも、『ふるさと加西 魅力発見!』がたくさんあるなと感じた出来事がありました。(今回は特に学びに繋がるものを紹介!)

 年末に、鹿児島県鹿屋市(大隅半島の真ん中あたり)に行ってきました。鹿屋市役所に表敬訪問し、中西市長・中野教育長様と懇談及び情報交換等をさせていただきました。また、市内に点在する戦争遺跡(川東掩体壕・地下壕第一電信室・串良平和公園 等)を見学してきました。串良平和公園元串良海軍滑走路(終戦直後の特攻隊が使用)跡〉には、慰霊塔がありました。あらゆる戦争を二度と繰り返さない深い決意と、お亡くなりになられた方々へのご冥福を、真剣に祈ってきました。また、塔の土台には、特攻隊員として戦死された方々のお名前が刻まれていました。

 その中に、「白鷺(はくろ)飛行隊 〇〇〇〇」というお名前を見つけました。また、別の場所では、「第2白鷺飛行隊〇〇」、さらに、「第3白鷺飛行隊」…と、何度も同じ隊名の、多くの方々が特攻隊員として、串良飛行場から飛び立たれていました。『白鷺(はくろ)とは、読み方を変えると “しらさぎ”“しらさぎ” と言えば、“しらさぎじょう=白鷺城”“白鷺城” と言えば、そう “姫路城” ですよね。実は、“白鷺飛行隊” とは “姫路(海軍)飛行隊” のことであり、“姫路海軍飛行場” はというと、そう『鶉野飛行場』だったのです。

 第二次世界大戦当時の鶉野飛行場及びその周辺は、現在原寸大模型が展示されている『紫電改』の組立工場が点在し、飛行テストが行われていた場所です。姫路海軍“白鷺飛行隊”の方々が、鶉野飛行場で飛行訓練をし、その後、鹿屋市の串良飛行場へ移動し、戦地に赴いたのです。

 加西市と鹿屋市が『空で繋がっている!』ことを実感しました。今年度は、鶉野飛行場跡(現在は備蓄倉庫・令和4年3月には平和ミュージアム完成予定)及び巨大防空壕に、兵庫県内外から32校が修学旅行の平和学習で訪れています。特に加西中学校は、お膝元であり、歩いて学びに行ける戦争遺跡・平和学習資料資源ゆえ、ぜひ『ふるさと加西 魅力発見!』に加えていきましょう。さらに毎年、鹿屋市教育委員会が応募している『かのや未来創造プログラム 平和の花束』に対しては、これから鶉野飛行場跡等で学んだこと・感じたことを、平和へのメッセージとして、数多く届けられる、加西中学校生であって欲しいと願っています。

   令和3年1月25日(月)

加西中学校長  植田 正吾

 

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