全校朝集の話から⑯(平和について考える①)

全校朝集の話から⑯(平和について考える①)

 来月13日から2泊3日で、3年生の修学旅行が行われます。今、3年生は修学旅行に向けての準備を進めているところだと思います。              

 さて、1945年8月6日午前8時15分と言えば、何か起こったか分かりますか?     

 1945年8月9日午前11時02分と言えば、分かりますか?

 それぞれ広島市、長崎市に原子爆弾が投下された日時です。日本が降伏をした後、アメリカの調査団が広島、長崎に入り、原爆の被害や人体への影響を調べ、記録映像としてフィルムに残しました。その後米ソの対立である冷戦が続き、競い合うように核兵器は作られていきました。核兵器の恐ろしさを記した長崎・広島の貴重なフィルムはワシントンの公文書館に眠ったままでした。1980年ごろ、日本でそのフィルムを買い戻そうという運動が起こります。これを10フィート運動と言います。1フィートは30㎝、10フィート=3mのフィルムを一人3,000円で買おうという運動です。この運動で、3本のドキュメンタリー映画が制作されました。「にんげんをかえせ」「予言」「歴史」です。

 私は学生時代にこの映画を観ました。すさまじい被害と、そこに映る被爆者の何かを訴えかけるような目が頭から離れませんでした。

 教師になって2年目に長崎で被爆者の方から話を聞く機会がありました。その方は長崎で郵便配達をしていて、被爆したそうです。爆風で遠くまで飛ばされ、気がつくと大火傷を負っていました。これが熱線です。そして、不思議と痛みを感じなかったそうです。しかし、1年たっても火傷は治らず、治療は腐った皮膚を取り除くだけだったそうです。傷が治らず身体が不調なのは放射能による影響です。そして映画の一部が映し出され、これが私ですと言われるのです。真っ赤な背中、胸は心臓の動きが分かります。もう30数年前のことですが、その時の衝撃は忘れられません。原爆の恐ろしさを肌で感じました。

 自分の目や耳で見聞きしたこと、自分の足で調べたこと、自分の頭で考えたことは決して忘れません。

 長崎への修学旅行を「平和について考える」いいチャンスにしてください。

(10月19日の話から)

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