仏様の指(学校だより わかば10月号より)
まだまだ暑さは残るものの、虫の声や頬に当たる風に秋を感じるようになりました。これから、さわやかな過ごしやすい季節を迎えます。そのような環境の中、子どもたちには、毎日の活動や学校行事に励んでほしいと願っています。
さて、若い頃に大村はま先生の「教えるということ」を読み、たいへん印象的で、今も大切にしていることがあります。それは、「仏様の指」というお話にまつわるものです。
ある時、仏様が道ばたに立っていらっしゃいました。すると、一人の男がたくさんの荷物を積んだ荷車を引いて通りがかりました。ところが、荷車はぬかるみにはまってしまい、男は一生懸命に引きますが、荷車はまったく動きません。男は、汗びっしょりになって苦しんでいました。仏様は、その様子を見ていらっしゃいましたが、しばらくして、指でちょっとその荷車に触れられました。その瞬間、荷車はすっとぬかるみから抜け出て、男はからからと荷車を引いて行ってしまいました。
この男は、仏様の指が触れられたことを知りません。「自分が努力して抜け出した」という思いで、その後も荷車を引いて行ったと想像できます。もし、仏様のお助けによって荷車が抜け出せたことを知ったら、男は深々と頭を下げて仏様に感謝したでしょう。けれども、それでは「自分のがんばりでやり遂げた自信と喜び」は得られなかったのではないでしょうか。
本を読み終え、私は「指導」と「支援」の違いについて考えさせられました。「指導」とは、意図された方向に子どもたちを「教え導くこと」で、荷車を前から引っ張ってあげるようなものですが、「支援」とは、「支え、助けること」で、荷車を後ろから押すようなものではないかと思うのです。そして、教師の「支援」は、時として、子どもたちからは見えない場合があり、その方が子どもたちの「達成感」「満足感」がより大きなものとなり、更なるやる気を引き出すことにつながるのではないかと思うのです。
子どもたちにとって実り多き秋となりますよう、「ありがとう」の声かけとともに、「指導」に加え「仏様の指」のような「支援」も心がけていきたいと思います。
学校長 多田 俊朗
2024年10月1日