全校朝集の話から㉜(3.11から10年)

全校朝集の話から㉜(3.11から10年)

 2011年3月11日、三陸沖でマグニチュード9の大地震が発生し、その後最大40mの大津波が沿岸部を襲いました。2万2000人もの死者・行方不明者を出した「東日本大震災」です。

 津波によって家が流される衝撃的な映像や、福島第一原子力発電所のメルトダウンや爆発のニュースなど、余震の続く中、連日テレビに釘付けになりました。あれから10年の月日が経とうとしています。

 2011年夏、私はボランティア休暇を取って宮城県にいました。行きと帰りを含めた5日間の予定で活動をしました。松島湾を望む高台のホテルに4泊し、そこからバスで南三陸町、石巻市、雄勝町、女川町などに行きました。南三陸町に向かうバスで、突然何もない風景が現れ、自然と涙が溢れてきたのを思い出します。ここにあった町がない現実、コンクリートの建物の横にがれきの山、そして作業をした中学校の職員室は卒業式前日のままでした。

 戸倉中学校は海の前の高台にある中学校で、その2階まで水は到達したそうです。3月12日にできなかった卒業式を7月31日に行うために、ボランティアが交代で会場づくりや清掃を行っていました。一見きれいに見える床は掃いても掃いても砂が出てきます。靴箱は拭いても拭いても塩気が抜けません。でも、そこにいたボランティアの先生たちは黙々と作業を続けました。

 現地に行ってみないと分からないこともあります。石巻市のスーパーではハエたたきやハエとり紙が多く売られていました。漁業関係の施設が被災しハエが大量発生したそうです。また、海水につかった車からクラクションが鳴り続けていたという話も聞きました。さらに、治安の悪さも現地に行って初めて耳にしました。性暴力被害については、9年目の昨年NHKがドキュメンタリー番組を放映していました。

 自分の目で確かめることは大切なことです。

 3月11日前後のニュースや新聞記事をしっかり見てください。

 (3月8日の話から)

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