全校朝集の話から⑱(平和について考える②)

全校朝集の話から⑱(平和について考える②)

 「平和について考える」の2回目の話をします。 

 広島の原爆資料館北側にアオギリの木があります。広島逓信局の中庭にあった木が移植されたものです。1945年8月6日、このアオギリは被爆しました。今日は、アオギリに勇気付けられ自分の生きる道を見つけた女性の話をします。

 この広島逓信局に事務員として勤めていたのが、沼田鈴子さんです。沼田さんは、逓信局のビルの4階で被爆し、瓦礫に左足をつぶされ、直後に足首から先を失いました。その後傷口が化膿し、左大腿部から下すべてを切断することを余儀なくされました。切断手術はほとんど麻酔なしで行われたそうです。

 終戦後、アメリカの調査団が広島に入り、沼田さんの姿は16ミリフィルムに記録されました。

 退院後、義足を付けて復職しましたが、被爆者であること、障害者であることへの偏見や差別に苦しみ、自ら仕事を辞めてしまいます。次第に心が荒れ、自死寸前まで陥ったといいます。そんな時、被爆して焼け今にも枯れてしまいそうなアオギリを目にして、自分の姿と重ねるのでしたが、その無残なアオギリから新芽が芽吹いている様子を見て、生きる気力を取り戻します。

 勉強して教師になることをめざし、母校の高校で家庭科の先生になります。しかし、自分が被爆者であることや義足であることは隠して生活します。

 1980年代に10フィート運動が始まると、その映像に自分の姿が映っていることが分かり、様々な思いを乗り越えて、原爆の中で「生かされた者」として、原爆の恐ろしさを世界中に知らせようと決意します。沼田さんは語り部として、自分の原爆体験を毎日語るようになります。そして「相手の痛みのわかる人になってほしい」と言います。

 アオギリからとれる種やそれから育てた苗木は全国に配布され、「被爆アオギリ2世」として育っています。加西市でも「被爆アオギリ2世」を育てられている方がいます。

(11月2日の話から)

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