全校朝集の話から⑦(初心忘るべからず)

全校朝集の話から⑦(初心忘るべからず)

 7月19日、加西市役所玄関前特設舞台で、狂言師の野村萬斎さんとこども狂言塾の塾生による公演が行われました。私は、そのリハーサルである場当たりという稽古を見学させてもらいました。狂言は能と能の間に演じられる、対話としぐさによるコミカルな劇です。この、能と狂言を合わせて能楽といいます。能は、室町時代の観阿弥(かんあみ)・世阿弥(ぜあみ)親子によって大成された演劇です。この世阿弥の書いた「花鏡(かきょう)」という能の秘伝書に「初心忘るべからず」という言葉があります

 私はこれまで「何事においても、初めに抱いた志や謙虚で真剣な気持ちを忘れず、ひたむきに物事に取り組もう」という意味でとらえていましたが、本当の意味は違っていました。

 世阿弥のいう初心とは、初心者の初心で、未熟であることを意味します。何かを始めた時の下手だった記憶や、その時の悔しさ・恥ずかしさ、そしてそこから努力してきたことを忘れてはならない、とういう意味です。さらに、過去の未熟な状態を思うだけでなく、今の自分も未熟であることを自覚するように言っています。

   是非(ぜひ)の初心忘るべからず。                                    

   時々(じじ)の初心忘るべからず。                                      

   老後(ろうご)の初心忘るべからず。

 つまり、「初心忘るべからず」とは、初心者としての未熟さを受け入れながら、新しいことにチャレンジしていく心構え、その姿を言っています。中年になっても老年になっても、自分の未熟さを知っていれば、新しい試練に向かっていくことができる。失敗することからも学ぶことができる。自分の未熟さを自覚し、向上心をもって物事に挑もう、という意味です

(7月27日の話から)

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